reichasm’s blog

なで肩からずり落ちるトート

寝る前

「最近、“セイ”に対して、興味がないんだよな」と友人が言った。

「女性のこと?」と聞き返すと、どうやら“生”のこと、つまりは“生きる”ということのようだ。

 

なるほど。確かに彼が引っかかりやすそうなテーマだ。

 

これは単なる事実であって、慰めて欲しいとかそういう類ではない事はわかる、長い付き合いだから。

彼との付き合いは8年近くになる。

 

彼の人格形成を手伝ったものは「反発」といえるだろう

父親への…

社会への…

それが元になって、ミュージシャンを目指したりもしていた。

 

しかし、歳を重ね、様々な力を手に入れた。

例えば、財力。彼は成人し働いて、実家を出て暮らしているため、実家にいた頃のような父親の圧迫はない。今は割と自然に父親と接することができるらしく、距離感って大事だねと本人が言っていて驚いた。

あとは、適応力。以前はどうしても許せなかった周りからの害も色々な経験を経てなんとなくやり過ごせたり、避けたりできるようになるものだ。

 

そう、彼には今「反発」する対象物がない。人が生きるためにはある程度のストレスは必要なのだろうか。

 

そのあと、「神様みたいなものに明日死ぬよって言われたらどうする?」と聞かれた。「ちょっと困るかな、やりたいことあるし」と答えた。「そうか、俺は別にいいんだよな。やりたいことって?」と聞かれた。

 

「やりたいこと…服屋さんとかやりたいかな」と答えた。ポロっと出た特に予定もない願望。確かに、服屋さんはやってみたい。服が好きだから。これは1年くらい思っている。でも、今死ぬとなった時、本当に困る理由はもっとぼんやりしていて、漠然としたもの。

 

僕には困ることというか、常に気がかりなことがある。それは「大きな流れと大きな流れの狭間にいて、そのどちらの流れにも入らなかった人のこと」

大きな流れというのは、経済でも人間関係でもそうのだが、平均値から少しズレてしまったことによって、除外されてしまったもの、とにかくそういうものが気になる。考え込む性格、引っ込み思案、声が小さい、神経質、伝えるのが苦手、…色々あるが、ほぼ誤差とも言えるそれらによって、狭間にいる人。なんかそういう人の声を消させたくないというか、落っこちて欲しくないというか。一概には言えないが、そういう人は優しい性格な人が多いと思う。想像力が豊かな人が多い気がする。だから、必要なんだよ。

 

本人の努力不足と言われてしまうかもしれない。確かに、それらを克服した人もいると思う。それはもちろんすごいことだ。だが、克服できた人はチャレンジする機会と失敗できる環境があった場合が多いのではないかと思う。全て克服したとは言わないが、僕は幾分よくなったと思う。なぜなら、何をしても離れていかなさそうと思わせてくれる友人に恵まれたからだ。環境に恵まれた。それによって今の自分があると思う。だから、僕はそういう人をみつけたら居場所になりたいし、そういう人の居場所を作りたいという気持ちになる。そういう人のモラトリアム期間を用意したい。

もし、自分を賭けて何かをするなら、こういう分野がいいな。誇らしいから。

 

と、まあこういう漠然とした想いがある。だが、その想いに沿った目的と具体的にどうやって形にするのかはまだわからない。探さなきゃいけないから僕は生きてる。たまにどうすればいいかわからなくて、何も進んでない自分に嫌気がさすけど、生きてる。

 

彼にも何か漠然としたモチベーションが生まれるといいな。