2024.07.26 "fun time 歌小屋"@日本武道館
とにかく最高だった。クリープハイプの1曲目からグッと来てしまった。尾崎の前のめりさが今日という日への気概を感じた。まあ、あるだろうと予想していた『さよなら第九惑星』もよかったし、あったらいいなの『イト』もやってくれた。『イト』はクリープハイプを聴き始めたきっかけの曲で、特に思い入れが強い。発売当時、MVを見て、最後のサビのウルフヘアー尾崎がめちゃくちゃカッコよくて、一目惚れした記憶がある。
そして『栞』だが、俺たちのオープニング曲であり、劇中歌であり、エンディング曲なので、普通の感情じゃいられない。本当に、本当に色々思い出した。つらいの比重が高いけど、これは仕方ないし、それでいい。あらゆる感情をこの曲に背負ってもらっていると改めて感じた。日常に寄り添い、節目に決めてくれる、とても貴重な存在だったなと感じた。
ユニゾンは『アナザーワールド』から始まった。まあまあここはある程度予想通りだった。盟友とも言えるクリープハイプとの対バンに初期の頃の曲入れて来ないわけがない。次は『センチメンタルピリオド』。やっぱいい。ぶち上がる。約20年鳴らし続けるって只事じゃないよね。そして、聴き馴染みのある、ギターイントロから『さよなら第九惑星』が始まった。「早速クリープへのお返し〜、律儀〜」とニコニコしてしまった。曲はやはり最高で、1日でこの曲を2回聴ける日なんて、この先ないだろうと思うと、「お祭りだなあ」なーんて。次は『23:25』だった。「おお〜古めの曲続いて、いいね〜」となった。この曲は声出せるところあって、気持ちいい。「か〜えろ、せ〜か〜いへ(まだまだ帰りませんよ〜!)」。次は『Kid,I like quartet』だった。自分は『Populus Populus』辺りからユニゾンを聴き始めたので、やはりグッとくる。斎藤さんの「bea…」の時点で反応できる。脊髄反射。イントロドン来い。その次、MR.アンディだった。あのパーティ感というか、音源より断然ライブで聴きたい曲。自分にとって初めての武道館だったけど、客席のサイズ感と真円に近い会場にすごくマッチするなと感じた。加えて「曲が古め!今日はそういう日か!?」となった。ここから大変で、『to the CIDER ROAD』が鳴り始めた。曲の役目と曲の切実さに泣いてしまった。田淵がブログ等で「CIDER ROADで音楽界は土下座しに来なかった」とあるように、並々ならぬ思いで作られ、そしてあらゆる結果を背負うこととなったアルバムの先陣を任せられたこの曲。結果がどうであれ、それが20周年の武道館という会場で今も変わらず鳴り続けている事実にとても感動した。自分がユニゾンのアルバムの中で、1番聞いてたこの『CIDER ROAD』。大学時代、もちろん楽しいことはあったけど、(遅れてきた反抗期、思春期で)いつも落ち着かず苦しくて、でも何とか自分を保とうと、正当化しようと躍起になっていた日々の中で、先生のような、先輩のような、兄貴のような、自分の数歩先の未来を見せてくれるような、そんな存在だった。全曲大好きだった。ふと通路挟んで右前の同年代くらいの男に目をやると、泣いていた。『kid,I like quartet』でも泣いてたことを思い出し、「禿同(激しく同意の意)」と思った。この後、MCで斎藤がクリープハイプのトリビュートアルバム参加の話をし始めた。クイズ企画走ってるし、絶対やらんだろ〜と予想してたけど、やった。「聴いちゃっていいのー?」とフェアじゃない気がして、耳を塞いだ方が良いのかと思ったが、(まあ塞がないけど)曲が始まった。イントロが『イト』のような気がしたけど、『イト』だった。斎藤が歌い始めて『イト』のような気がしたけど、やっぱり『イト』だった。実は実は実は今回の企画で1番やって欲しい曲だった。でも、こういうのってどうせ叶わないから、期待しないようにしてた。大人になっても(なったから?)、傷つくのが怖い。でも『イト』だった。叶ったのだ。これまでの"全て"が、ありとあらゆる"全て"が報われた気がした。オエオエ泣いてしまった。たぶん唸っていたと思う。(隣の人に聞こえてないかな。ごめんなさい。)通路挟んで右前男もやっぱり泣いていた。その人と抱き合いたかった。2番は田淵もメインで歌っていた。それ見てさらに泣いてしまった。曲の細かいところは全く分からなかっあ。大好きなUNISON SQUARE GARDENが自分がクリープハイプを好きになったきっかけのイトを演奏しているという現象にただただ泣いてしまった。正直このあとの記憶が薄い。「『イト』だ」と思ったその瞬間から、何かがぶっ壊れて、事あるごと(好きなフレーズとかで)にオエオエしてたと思う。でも楽しかった。ひたすら楽しかった。その後は1番聴いていた頃の曲ばっかり鳴っていた。当時の想いとか蘇ってきて、なんだか同窓会みたいな気持ちになった。そしてフルカラープログラムが終わった。斎藤さんの「バイバイ」声を合図に、終電が近いので、会場を出た。ダッシュしかけたところ歓声が聞こえた。「あちゃー、アンコールか…」「もう知らん」となって、とりあえず立ち合うことにした。予定外だったのか、ユニゾンメンバーで、大人の会議が始まった。1,2分後、『シャンデリアワルツ(Live ver.)』のイントロが聴こえた。この日が完成したと思った。一度会場から出ているので、リセットされて、良い意味で軽やかに楽しめた。(ただし、当時沢山守ってくれた「わからずやには 見えない魔法をかけたよ ねえ、ワルツ・ワルツで」の歌詞は除く。)本当によかった。昔から好きなんだよな、『シャンデリアワルツ』で締めるの。あー楽しかった。
新幹線の中で思うままに走り書いたこの文章も終わります。(終電には無事間に合いました。)
ありがとう!UNISON SQUARE GARDEN!クリープハイプ!
20周年おめでとう!UNISON SQUARE GARDEN!
どうする?
何を本当にするかみたいなところはある。
今の自分か昔の自分かみたいな。昔の自分というか、昔感じていた感覚はやっぱり強烈で、想い出と一緒に今もどこかにある。今が絶不調かというとそういうわけではなくて、日々向かってくる良いもの悪いものに対して、幸せを感じたり、自分を変化させながら向き合い過ごしている。こうやって「物事の感じ方や自身の向き合い方が変わってくるのは、果たして…」と思う。何か忘れてない?と囁かれる。
勉強の話
建築の勉強をし始めました。ロジックを知るのは面白いと感じる。しかしまあ、ロジックの上に成り立った物が人間の感覚という曖昧なものに判断が委ねられるのだなと感じ、早々に気が狂いそうです。ただ、世の中はそういうものだよなとも思います。料理であればレシピ、音楽であればコードとか?ロジックが組み合わさって、形になっている。建築という道に一つ期待していることがあって、言語の壁を越えることだ。良いものは良いというシンプルな関係性が物を介して伝わればそれは嬉しい。
デザインは非言語コミニュケーションなんじゃないかと思います。
思い出
おばあちゃんに会いにいった。
ここ数年で認知症がある程度進行しているらしい。ある時から、会うたびに「○○(父の名前)の息子‼︎」と呼ばれていた。
まあ、名前は忘れてるのかもしれんけど、認識してるならいいか、と思っていた。(他の人や事はだいぶ忘れているので)
そして今回は2年半ぶりに会った。会う瞬間は毎回少し緊張する。おばあちゃんの家に到着し、家のドアを開けるなり、「☆☆(俺の名前)が来たぞ!」とおじさんが言う。おばあちゃんは「おぉー!」という喜んだような声だけをあげていた。…まあ仕方ないよなと思った。
名古屋への帰り道、おばあちゃんと会ったその時の光景を思い出していた。「とうとう来たんだなあ…」と考えていた。ただ、その前のとても聞き覚えがある音が思い出された。「☆☆(俺の名前)ガキタゾ!」というおじさんのセリフ。俺はこれをよく知っている。駅や空港に迎えに来てもらい、家に到着するなりおじさんが必ず言っていたお決まりのセリフだからだ。今思えば物心ついて以来、なんなら物心つく前からずっと言っていたと想像できる。
「ああ、俺に反応していたわけではなく、おじさんの決まり文句に記号的に反応して喜んでいたのかもなあ」と思いはじめた。ただ、これは悲しいことではないはずだ。生まれてから28年分の積み重ねがあってのことだ。おばあちゃんの中で俺みたいに聞き覚えのあるセリフとして反応したからかもしれない。身体に染み付いたセリフに繋ぎ合わされた感覚になった。行って良かったなと改めて思った。
飲んだ帰りに飲むヨーグルト
どうしよう。
ありがたいことに誰も止めてくれない。
「いいんじゃない?」
「チャレンジしてみてください」
「楽しいよ」
いつも何かしら壁が現れて、でもそれを押し切る反動で進んでいた。
今回ばかりは身体に染み付いた天邪鬼たちが困惑している。
このぬるぬる進んでいく感覚が人生で初めてである。
人に寄り添うものが作りたい。
ある服のブランドに出会った時から芽生え、育ってきた感情だ。
いや、まだ作りたいとは言えない。
興味がある、できれば関わりたかった。ずっと。
誰かが作った物から貰った心地よいという感覚を
物を通して誰かに渡してみたくなった
この気持ちを行動に移すことは、なんというか自由だと思った
今選ぼうとしている道は服飾系ではないのだが、そこが実は気に入っている
ダウンタウンを見てお笑い芸人を目指すのを自分がすると、どこかでその道を疑ってしまいそうで怖いからだ
この繊細だか、雑なんだか分からない性格が何かの役に立ちますよーに
予定
先の人との予定が楽しみで楽しみで仕方がない。
少し出歩けるようになって、改めて人といるのは楽しいと思った。
約束している予定
薄っすら決まってるちょっと先の予定
この先あるであろう予定
仕事が増える→残業が増える→ストレスが増える→残業代をストレス発散に突っ込む
日常生活の多くはこんな風に循環してるなあ(で、何の意味が?)とか思うこともあったけど、そこに予定という非日常があって、そういうただの循環の話を聞いてくれる人がいて、(または循環の中で手に入ったものを大袈裟に言えば披露したりして)人生いい感じじゃんと感じられるんだなあと思うようになった。
同時にとんでもないものが奪われていたんだなあとも思った。吐き出す先がなくてパンパンの風船になってしまっていないかい?
「すばらしきこの世界」良かったです。
次は浅草キッド観たいな、年末年始限定ネトフリ入会するか〜
ポストへの手紙
「マンション高価買取中‼︎」「水道トラブルありませんか⁉︎」「デリバリーサービス今なら2000ptプレゼント‼︎」
多色使いのキャパキャパしたビラが大量に突っ込まれる我がポスト
いつも通り1枚ずつ目を通しては、ポスト横に置かれている「ビラ廃棄用」と書かれたゴミ箱に捨ててると、手の水分が瞬時に持っていかれるような懐かしいわら半紙の手触りがあった
「キャンプファイヤーを行います」
近所の小学校からの手紙だった。全てに目を通さなかったが、おそらく先生が書いたお騒がせします的な案内だろうと思いながら、それも同じくゴミ箱へ
そして今日、木の焼けた匂いとともに
「第3問‼︎〜〜〜〜の〜〜〜〜ってな〜んだ?」
男子小学生であろう拙い声が窓の外から聞こえてきた
100点満点の気候を引き当てた彼らに拍手とお天道様の気まぐれに感謝を
一般男性(27)より