どうする?
何を本当にするかみたいなところはある。
今の自分か昔の自分かみたいな。昔の自分というか、昔感じていた感覚はやっぱり強烈で、想い出と一緒に今もどこかにある。今が絶不調かというとそういうわけではなくて、日々向かってくる良いもの悪いものに対して、幸せを感じたり、自分を変化させながら向き合い過ごしている。こうやって「物事の感じ方や自身の向き合い方が変わってくるのは、果たして…」と思う。何か忘れてない?と囁かれる。
勉強の話
建築の勉強をし始めました。ロジックを知るのは面白いと感じる。しかしまあ、ロジックの上に成り立った物が人間の感覚という曖昧なものに判断が委ねられるのだなと感じ、早々に気が狂いそうです。ただ、世の中はそういうものだよなとも思います。料理であればレシピ、音楽であればコードとか?ロジックが組み合わさって、形になっている。建築という道に一つ期待していることがあって、言語の壁を越えることだ。良いものは良いというシンプルな関係性が物を介して伝わればそれは嬉しい。
デザインは非言語コミニュケーションなんじゃないかと思います。
思い出
おばあちゃんに会いにいった。
ここ数年で認知症がある程度進行しているらしい。ある時から、会うたびに「○○(父の名前)の息子‼︎」と呼ばれていた。
まあ、名前は忘れてるのかもしれんけど、認識してるならいいか、と思っていた。(他の人や事はだいぶ忘れているので)
そして今回は2年半ぶりに会った。会う瞬間は毎回少し緊張する。おばあちゃんの家に到着し、家のドアを開けるなり、「☆☆(俺の名前)が来たぞ!」とおじさんが言う。おばあちゃんは「おぉー!」という喜んだような声だけをあげていた。…まあ仕方ないよなと思った。
名古屋への帰り道、おばあちゃんと会ったその時の光景を思い出していた。「とうとう来たんだなあ…」と考えていた。ただ、その前のとても聞き覚えがある音が思い出された。「☆☆(俺の名前)ガキタゾ!」というおじさんのセリフ。俺はこれをよく知っている。駅や空港に迎えに来てもらい、家に到着するなりおじさんが必ず言っていたお決まりのセリフだからだ。今思えば物心ついて以来、なんなら物心つく前からずっと言っていたと想像できる。
「ああ、俺に反応していたわけではなく、おじさんの決まり文句に記号的に反応して喜んでいたのかもなあ」と思いはじめた。ただ、これは悲しいことではないはずだ。生まれてから28年分の積み重ねがあってのことだ。おばあちゃんの中で俺みたいに聞き覚えのあるセリフとして反応したからかもしれない。身体に染み付いたセリフに繋ぎ合わされた感覚になった。行って良かったなと改めて思った。
飲んだ帰りに飲むヨーグルト
どうしよう。
ありがたいことに誰も止めてくれない。
「いいんじゃない?」
「チャレンジしてみてください」
「楽しいよ」
いつも何かしら壁が現れて、でもそれを押し切る反動で進んでいた。
今回ばかりは身体に染み付いた天邪鬼たちが困惑している。
このぬるぬる進んでいく感覚が人生で初めてである。
人に寄り添うものが作りたい。
ある服のブランドに出会った時から芽生え、育ってきた感情だ。
いや、まだ作りたいとは言えない。
興味がある、できれば関わりたかった。ずっと。
誰かが作った物から貰った心地よいという感覚を
物を通して誰かに渡してみたくなった
この気持ちを行動に移すことは、なんというか自由だと思った
今選ぼうとしている道は服飾系ではないのだが、そこが実は気に入っている
ダウンタウンを見てお笑い芸人を目指すのを自分がすると、どこかでその道を疑ってしまいそうで怖いからだ
この繊細だか、雑なんだか分からない性格が何かの役に立ちますよーに
予定
先の人との予定が楽しみで楽しみで仕方がない。
少し出歩けるようになって、改めて人といるのは楽しいと思った。
約束している予定
薄っすら決まってるちょっと先の予定
この先あるであろう予定
仕事が増える→残業が増える→ストレスが増える→残業代をストレス発散に突っ込む
日常生活の多くはこんな風に循環してるなあ(で、何の意味が?)とか思うこともあったけど、そこに予定という非日常があって、そういうただの循環の話を聞いてくれる人がいて、(または循環の中で手に入ったものを大袈裟に言えば披露したりして)人生いい感じじゃんと感じられるんだなあと思うようになった。
同時にとんでもないものが奪われていたんだなあとも思った。吐き出す先がなくてパンパンの風船になってしまっていないかい?
「すばらしきこの世界」良かったです。
次は浅草キッド観たいな、年末年始限定ネトフリ入会するか〜
ポストへの手紙
「マンション高価買取中‼︎」「水道トラブルありませんか⁉︎」「デリバリーサービス今なら2000ptプレゼント‼︎」
多色使いのキャパキャパしたビラが大量に突っ込まれる我がポスト
いつも通り1枚ずつ目を通しては、ポスト横に置かれている「ビラ廃棄用」と書かれたゴミ箱に捨ててると、手の水分が瞬時に持っていかれるような懐かしいわら半紙の手触りがあった
「キャンプファイヤーを行います」
近所の小学校からの手紙だった。全てに目を通さなかったが、おそらく先生が書いたお騒がせします的な案内だろうと思いながら、それも同じくゴミ箱へ
そして今日、木の焼けた匂いとともに
「第3問‼︎〜〜〜〜の〜〜〜〜ってな〜んだ?」
男子小学生であろう拙い声が窓の外から聞こえてきた
100点満点の気候を引き当てた彼らに拍手とお天道様の気まぐれに感謝を
一般男性(27)より
食事と世界
「ご飯食べる時、みんなは遠慮して料理に最初に手をつける事をなかなかしないから、いの一番に自分が手をつけることにしてる」
こんな事を言ってた人がいた。
とてもよく覚えているし、今でもよく思い出す。
当時はすごい繊細な気配りで、
自分は全く考えたことないことだなと思った。
でも、少し経った今、それがこの世界の全てなんじゃないかと思う。
「世界を正しく認識し、周囲を深く理解し、自分がどんな役割を担って、何をするか」
自分のマインドはこれに尽きる。
ここ1、2年でそう強く思うようになった。
そして、あの言葉が思い出される。
「ご飯食べる時、みんなは遠慮して料理に最初に手をつける事をなかなかしないから、いの一番に自分が手をつけることにしてる」
真っ直ぐ素晴らしい事だと今は思える。
今になってこんなにも強く思えるようになってしまった。
やっぱりいつまでも連れ添うことになりそうだよ。
羊毛とおはな「うたの手紙~ありがとう~」